このサイトは、まてんろう(下にプロフィールがあります)が運営する妄想ブログです。
プロ妄想家のまてんろうが日常的に妄想したり、思いついた「どうでもいいこと」をアウトプットする場として作りました。
自分の中にはいろんな自分がいます。
そして、それぞれの自分が、日々、いろんなことを考えています。
自分の頭の中にあることを言語化し、自分で読む。
そうやって自分の考え方を客観的に見つめ直すことができれば、もしかすると何か気づけるかな、自分で自分をもっと知ることができるかな、と考えました。
三日坊主になるかもしれませんし、すごく連続で書く時期や全く書かない時期があったり、そういうムラッ気も含めて、自分を知ることができればと思います。
まてんろう拝
まてんろうのプロフィール
プロの妄想家でDAPPS好きの俳人。長年、妄想でメシ食ってます。
普段は中年として生活していますが、悪い魔法使いに魔法をかけられて、そんな姿にさせられてしまっただけです。中身は中二のままです。
社会やら家庭やらで、いろんな役割を何とかがんばっていますが、心はいつも「自由」でありたいと思っています。
自由な心は、自由な発想を加速させます。人はそれを「妄想」と呼びます。
時として「妄想」は、自由に時間を超越して未来に思いを馳せることもあります。
そして、ぼんやりとした「時」を見せてくれことがあります。
まてんろうは、時々この「時が見える」体験をします。
それを様々な形で現実化しようともがき苦しむことが、気がつけば職業になっていた…というカンジです(笑)
だから今まで「どんなことをやってるんですか?」と尋ねられてずっと困っていました。
所属している組織、肩書、事業内容等は時代の変化にあわせて変わっていきます。
しかし、一貫していることは「妄想」していること。
だから、まてんろうは「プロ妄想家」なのです(微笑)
twitter:まてんろう(@mat10ro)
steemit:自由律俳句を中心に「Matenro’s free-verse haiku / まてんろうの自由律俳句」(@matenro)
ALIS:DAPPSの記事を中心に(@matenro)。ヴォエニスタでもあります。
また、関西のDAPPSシーンの活性化を目的に「DAPPS KANSAI」を主催しています。
※「DAPPS KANSAI」のDiscordはコチラ。どなたでも気軽に参加できます!
まてんろうとDAPPSについて
若い頃、パソコン通信でモニター越しに地域・世代・社会的な立場などを超えて繋がるという経験をし、いたく興奮・感動したのを覚えています。
人々がネットワークで繋がることで、いろんなことが変わると思いました。
そしてインターネットが誕生しました。
パソコン通信と違って、インターネットは「誰のものでもなく、オープンで、自由」で、そこにいる人々はネチケット(笑)を意識しながら、ゆるい連帯で自律的に発展していきました。
やがて、そんなインターネットの素敵な世界は、多くの人々に広がっていきました。
技術を意識しなくても、誰もがネットワークに繋がることによって得られる素敵な体験は、人々の努力によって、より簡単に、より便利に、より楽しく…と進化していきました。
しかし、「誰のものでもなく、オープンで、自由」だったはずのインターネットは、やがてその進化の中で、結果的に一部の誰かによって支配されつつあり、その素敵な世界が恣意的に変わっていくのを危惧する人々もいました。
そこに、ブロックチェーンという技術が登場します。
改ざんが難しく、分散化されたその仕組みは、一部の誰かを通さずとも、人と人が直接やりとりする世界を実現することができます。
そして、今、ブロックチェーンを活用した非中央集権・分散型アプリケーション「DAPPS」の世界が花開こうとしています。
DAPPSが普及した世界…それは、「誰のものでもなく、オープンで、自由」だった、本来のインターネットに戻れる可能性を意味しています。
いずれ、DAPPSをDAPPSと気付く必要もなく、誰でも気軽に使えるようになり、やがてインターネットの大きな渦に吸収されていくでしょう。
そしてインターネットが遠回りをして本来の姿に戻る、すなわち一周回ってもう一段進化する、そんな風に思えるのです。
まてんろうはこのDAPPSの出現に、いたく興奮・感動しました。
そして、自分なりにできることを考え、関西圏でのDAPPSシーンの活性化を目的に「DAPPS KANSAI」を立ち上げました。
これからどうなっていくのかはわかりませんが、少なくとも今、久しぶりにぼんやり「時が見える」体験をしています。
今見えているものが現実になっていくように、がんばっていきたいと思います。
まてんろうと自由律俳句について
まてんろうは基本的に「妄想」以外、何もできません。
頭もよくありませんし、当然学歴もなく、ものも知りません。
プログラムはできませんし、絵も描けません。
音楽を作ることも、奏でることもできません。
技術・スキルの類は何一つ持っていません。
その状態で「妄想」をアウトプットするには、「話す」か「書く」しかありません。
だから、子供の頃は口から産まれたんじゃないかというくらい、ずっとしゃべっていました(笑)
いろんな経験をし、口数は以前ほどではなくなりましたが、それでも「一言多かった」という失敗を今でもしょっちゅうしています。
なので、妄想をきちんと伝えるという意味では、「話す」のも下手なんだと思います。
一方、「書く」方についてですが、若い頃は小説を書いていたのですが、それはやがて詩的な表現に変わっていき、さらに表現を先鋭的にしていった結果、たどり着いたのが「自由律俳句」ということです。
文章を書く仕事も多いのですが、正直、こちらもあまり上手くないのは自分でも認識しています。
ただ、わざわざまてんろうに仕事を依頼するということは、まてんろうの言語感覚が求められているということだと思うので、下手なりに、まてんろうらしい文章を書きます。
でも、時に、この「まてんろうらしさ」は、本当のまてんろうではなく、外から見られているまてんろう像に寄せているだけなのかもしれない、と思うことがあります。
だから、自由律俳句は、まてんろうがまてんろうのために、素のまてんろうが詠むというコンセプトでやっています。
そこには「妄想の欠片」があります。
自分の好き、嫌い、面白い、嬉しい、楽しい、悲しい…そんなものが、言葉の形を借りて、脳から漏れ出てきます。
これらが妄想の元になったり、発展させる素材になったりするわけです。
つまり、自由律俳句なんて言ってますが、ただ、自分の感性を言語化したものを垂れ流しているだけなんですよね(笑)
なので、受け手である皆さんの側で好きに味わっていただければと思います(沢山の感想をいただき、大変励みになっております)。
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