遊び続けていると、死ぬのが怖くなくなるのです

ロケット花火で撃ち合いをして、服に穴が空いたことがあります。

まてんろうです。

危険ですので、絶対にマネしないで下さい。

まぁ、そもそも花火が好きで、今でも夏には必ずやります。

花火

出典:ぱくたそ-フリー素材・無料写真ダウンロード

これって、よく考えると子供の頃から続いてて、飽き性のまてんろうにしてはスゴイなぁと思います。

あと子供の頃から続けている数少ない習慣の一つに、お店めぐりもあります。

お店めぐり…例えば、本屋、家電量販店、リサイクルショップなどです。

その中でも特に、おもちゃ屋めぐりが一番歴史が古いのではないかと思います(まぁ、まてんろう史上ですけどね(笑))。

とは言うものの、単に、おもちゃ屋さんをぶらぶらするだけなんですが(笑)

しかし、ずっとやってると、いろんなことに気付きます。

流行っているもの、売れ筋のもの、キャラクターもの、などなど…

一種の市場調査のようなカンジですね(笑)

でも、一番感じるのは、「おもちゃで遊ぶ、という本質は変わらない」ということ。

新しい技術が導入されたり、キャラクターが変わったり、仕掛けが派手になったりしても、結局、人間の子供は人間の子供の遊び方があって、その道具であるおもちゃも、遊ばれ方が変わらない、と。

例えば、自動車や鉄道のような乗り物をモチーフにしたおもちゃは昔からあって、これは自動車や鉄道がずっと昔からある「我々の身の回りにあって大人から見てもスゴイもの」だからおもちゃとして成立してるんだと思うんです。

携帯電話やスマートフォンのおもちゃなんかも同じ考え方ですよね。

他にも、男の子なんかだと「集める」「戦わせる」とかいくつかのキーワードがあって、それが時代に応じてメンコだったりトレカだったりするわけですよね。

ゲームだって(ジャンルは多岐にわたりますが)まぁ、双六なんかのパーティーゲームがデジタルに置き換わっていったりしただけですからね。

Switch女の子も料理を作ったり、編み物ができたりといった、日常の延長線上で何かを作るようなおもちゃは昔からあるわけです。

そう思うと、いくら技術が進歩しても、子供が遊ぶものの本質は変わらないんだな、と妙に安心したりします。

まてんろうは子供の頃、友達と集まっては「何して遊ぼうか?」と、よく即興で遊びを作って、遊んでいました(それがそのまま仕事になったようなもんですが(笑))。

まぁ、そこそこの年齢なのですが、今でも何か面白いことを見つけたり、作ったりして遊んでいます。

もうこうなったら、最期の時は「遊んでいたら死んでいた」みたいなのがいいなぁと思います。

それだと、怪談なんかでよくある「自分が死んだことがわからない」みたいな霊になっても、「ずっと遊んでる」状態なわけで、なんか面白いじゃないですか(笑)

死後すら遊びにできれば、何となく死ぬことが怖くなくなりそうです。

ほら、こう考えると、これからは何事も死ぬ気でがんばれそうですね(微笑)

 


まてんろうまてんろう

プロの妄想家で俳人。長年、妄想でメシ食ってます。

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