写真を撮る時は、まず目をつぶればいいような気がします

集合写真を撮ってもらった時、割と「自分だけ目をつぶってる」派です。

まてんろうです。

突然ですが、フルベッキ群像写真というものをご存知でしょうか?

フルベッキ群像写真(フルベッキぐんぞうしゃしん)は、在米オランダ改革派教会から派遣されたオランダ出身の宣教師グイド・フルベッキとその子を囲み、上野彦馬のスタジオで撮影された44名の武士による集合写真の俗称。

フルベッキ群像写真 – Wikipedia

 

まてんろうは幕末の志士が一堂に会している写真として書籍などで取り上げられているのを見て知りました。

「全員、教科書に出てくるような有名な志士」「西郷隆盛や坂本龍馬が写っている」「明治天皇も写っている」等、とにかくすごい写真ということで、初めて見た時は大変驚きました。

でも、真相は、佐賀藩が長崎に設けた英学校「致遠館」の学生と教師を写真師・上野彦馬が撮影したものなんだそうです。

真相を聞くと、なんかちょっとガッカリですね。

本当だったら、「こんなすごいメンバーがどうして集まっていたんだろう?」「誰がなんのために撮ったんだろう?」など、妄想を掻き立てられ、とてもロマンがあったのになぁと思います。

写真の性質として「像の真正性」というものがあります。

今ではデジカメで撮った写真を簡単に可能できるので、あくまでフィルム写真の時代の性質ということになりますが、そもそもその像に対する解釈を曲げられてしまうと、真正もくそもなくなってしまいます。

それはそれでちょっと怖いですよね。

写真といえば、たとえば3人で写真を撮ってもらう時、あなたはどこに立ちますか?

右? 左? それとも真ん中?

「写真を撮ってもらう時、真ん中に立つと早死にする」という話があります。

その話を知ってからというもの、天の邪鬼のまてんろうは、本当がどうか確かめようと真ん中に立つよう心がけていました(笑)

すると、ある方に「『写真を撮ってもらう時、真ん中に立つと早死にする』って言うだろ。アレ、なぜだか知ってる?」と尋ねられました。

そもそも「写真を撮ってもらう時、真ん中に立つと早死にする」というのは、根も葉も無い単なる迷信だと思っていたので、「え? 理由なんてあるの?」と大変驚きました。

何か故事のような所以があるのかなぁ、と思ったのですが、その方の答えは意外なものでした。

「例えば3人いたとしたら、その中の年配の人をたてなきゃって思うでしょ? で、『真ん中へどうぞ』ってなるでしょ。だから、真ん中に立つと早死にするんじゃなくて、年配の人が真ん中に立つ可能性が高いというだけの話なんだよ」

本当かどうかは別として、「そっちかよ!」と突っ込みたい気分になった反面、「逆転の発想」というか、そういうものの見方・考え方ってすごいなぁと、まさに目から鱗だった記憶があります。

これって、よく言われる「前提を疑う」に近い感覚があって、今でも、何かを考える時、「そもそも」とか「逆だったら」といった視点を大切にしています。

そういう視点で冒頭の「集合写真で目をつぶってしまう問題」についてあらためて考えたのですが、写真を撮る時、逆にまず目をつぶっておいて、「はい、チーズ!」で目を開ければ、目をつぶっていない写真が取れるんじゃないでしょうか?

「そんなくだらない方法で解決できるか!」って?

そこは目をつぶって下さいよ。

 


まてんろうまてんろう

プロの妄想家で俳人。長年、妄想でメシ食ってます。

自己紹介はコチラ
twitter(@mat10ro)フォローいただけると幸いです
steemit(@matenro)自由律俳句を詠んでいます


こちらの記事、お気に召しましたら、シェアいただけると幸いです。